こんにちは。bump好きです。
今回は比較的初期の曲「メーデー」についての歌詞解釈をしていこうと思います。
歌詞解釈って個人的偏見の集まりなので、「そういう考えもあるんだな」くらいの軽い気持ちで見て頂けると幸いです!!
楽曲情報
bump of chickenメジャーアルバム3枚目である『orbital period』に収録されている曲です。(シングルとしても出てるよ!)
比較的初期(中期とも言う)の曲ですが、ライブではよく演奏されていたりする人気の高い曲です。
僕はこの曲、bumpで6番目くらいに好きです(ロストマン、セントエルモの火が2強)
ちなみに「メーデー」とは無線電話の国際救難信号という意味です。
http://j-lyric.net/artist/a000673/l00b884.html
↑ここで歌詞見れます!!
歌詞解釈
歌詞を引用しつつ解釈をしていく流れでやっていきます。
君に嫌われた君の 沈黙が聴こえた
君の目の前に居るのに 遠くから聴こえた
「君に嫌われた君」という特徴的なフレーズから歌詞は始まります。
先に結論から書いておくと、この歌詞には4人の登場人物がいます。
①君
②君に嫌われた君
③僕
④僕に嫌われた僕
人間だれしも自分に正直に生きている訳ではなく、本当の自分を押し殺したりしながら生きてるわけです。
表面上の僕(君)と、本当にやりたいことがあったのにその感情を押し殺された僕(君)。に2分割されているわけです。
「君に嫌われた君の沈黙」からも上記の事が解ります。「君」が生きていくため、周りと合わせるために「本当の自分」を押し殺して(嫌って)いるという事です。
「君の目の前に居るのに 遠くから聴こえた」というのも心の奥底に隠したからという意味になります。
発信源を探したら 辿り着いた水溜まり
これが人の心なら 深さなど解らない
歌詞中に出てくる「発信源」から、”君に嫌われた君が助けを求めるために救難信号(=メーデー)を出した”ということが分かります。
そんな発信源をたどっていくと水溜りにたどり着きます。”君に嫌われた君は君の心の奥底に沈んでいる”という意味です(水溜りボンドという意味ではないです)←おもしろポイント
息は持つだろうか 深い心の底まで
君が沈めた君を 見つけるまで潜るつもりさ
苦しさと比例して 僕らは近付ける
再び呼吸をする時は 君と一緒に
僕と君、二人の人間の精神的距離感について唄いつつ、同時に「水の底」という物理的距離にも表しています。
・息は持つだろうか:君に嫌われた君にたどりつけるかどうかの不安
・苦しさと比例して僕らは近付ける:人に近づく(理解する)ためには、お互いの事を理解する必要があったりする。そういった精神的苦しさという意味
・再び呼吸をするときは:君に嫌われた君を深い水の底から助け出すという意味。
僕もまた同じ様に 沈黙を聴かれた
君もまた同じ様に 飛び込んでくれるなら
2番の歌詞になり、視点が変わります。1番では"僕が君に嫌われた君を助ける"という視点であったのに対し、2番では"君が僕に嫌われた僕を助ける"という視点になっています。
そして、この時点で登場人物が4人いることが分かります。
口付けを預け合おう 無くさずに持っていこう
君に嫌われた君へ 代わりに届けるよ
ここでbumpにしては珍しい「口付け」というフレーズが登場します。bumpは「好き、愛してる、キス」などといった直接的表現はほとんど一切使いません。そのため、メーデーは愛し合う男女のラブソングだ! と考えている人も多いのではないでしょうか。
でも、僕(=このブログを書いてる筆者という意味の僕)はラブソングだと思ってないです。
「口付け」を「君に嫌われた君」に「代わりに」届けているという事に注目しましょう。
「代わりに」届けているのですから、本来口付けは君⇒君に嫌われた君に届けるべきであるものという事が解ります。また、今までの比喩から、君に嫌われた君は深い水の底にいて、呼吸ができないという事も解ります。
君に嫌われた君に、空気を届ける行為=口付け。というものではないかと考えています。
そしてここでさらに重要なのは、"君からの口付けを君に嫌われた君が受け取る"という部分です。つまり”他人に助けてもらうんじゃなくて、自分の力で何とかする。他人はそのお手伝いをする”という事です。
この考え方が、bumpが伝えたい核だと思います。
勇気はあるだろうか 一度心覗いたら
君が隠した痛み ひとつ残らず知ってしまうよ
歌詞の通りです。他人を理解しようと近づき、その心を見てしまったらその隠した痛みがすべて見ててしまうよという意味です。
傷付ける代わりに 同じだけ傷付こう
分かち合えるもんじゃないのなら 二倍あればいい
この歌詞の中に、メーデーを通してbumpが伝えたいことの核(2つめの核)があると思います。
「相互理解」という言葉は一見すると聞こえはいいですが、お互いのことを完全に理解し合うのは不可能です。歌詞の言葉を使うなら「誰もが違う生き物 他人同士だから」です。
"完全に理解するのが不可能"="痛みは分かち合えない"
ということを理解した上で、”じゃあ僕も君の痛みを背負うよ。これで痛みは二倍だね”という提案をしているわけです。
余談ですが、bumpのセントエルモの火という歌にも似たようなフレーズが登場します。
解り合おうとしたら迷子になる 近くても遠くてややこしくて面倒な僕らだ
だからついて来たんだ 解り易いだろう ちょっとしんどいけど楽しいよ※注)セントエルモの火の歌詞です。
解り合おうとするとはすなわち相互理解という意味に置き換えることができます。
この歌詞で、"解り合うことはできないから、君の後ろをついていくよ"ということを伝えています。(ちなみにセントエルモの火ではここのフレーズが一番好きです)
↑セントエルモの火について書いたブログです! よかったら読んでね!!
余談おわり。
怖いのさ 僕も君も
自分を見るのも見せるのも 或いは誰かを覗くのも
でも 精一杯送っていた 沈めた自分から
祈る様なメーデー
自分を見るのが怖くて、自分を沈めてみて見ぬふりをしてきた僕。
それと同じように、沈められた君に対しても見て見ぬふりをしていたのでしょう。
ですが、心の底の僕(=沈めた自分=僕に嫌われた僕)は救難信号を送っています。ここにいるよ。気づいてよ。とでも送っていたのでしょうか。
響く救難信号 深い心の片隅
こんなところにいたの 側においで 逃げなくていいよ
触れた発信源に 届けるよ 口付け
君から預かってきたんだよ
僕は君に嫌われた君を助けるために水の底まで潜ります。
ここで再び"口付け"が登場します。
「口付けを預け合おう 無くさずに持っていこう 君に嫌われた君へ 代わりに届けるよ」というフレーズで出てきた"口付け"がここで回収されます。
先ほど、"君に嫌われた君に、空気を届ける行為=口付け"と書きました。それを踏まえると、君から預かってきた空気(空気は"君の意思・想い"といった比喩ではないかと考えています)を君に嫌われた君に届けています。
君と、君に嫌われていた君で分離していた二つの意思が、ここで戻るという解釈ができます。
抽象的な言葉が続いてなかなか難しいこと書いてますが、何とか理解していただきたい感じです。
勇気はあるだろうか 一度手を繋いだら
離さないまま外まで 連れていくよ 信じていいよ
息は持つだろうか 眩しい心の外まで
再び呼吸をする時は 君と一緒に
少し前の歌詞では「勇気はあるだろうか 一度心覗いたら 君が隠した痛み ひとつ残らず知ってしまうよ」と、若干弱気になっているのに対し、ここでは「勇気はあるだろうか 一度手を繋いだら 離さないまま外まで 連れていくよ 信じていいよ」と言っています。
「再び呼吸をするときは」=君に嫌われた君を水面まで連れていくことができたら=君に嫌われた君と君を再開させることができたら。という解釈ができます。
僕と君、最後まで相互理解はできていないと思いますが、しかし僕は君に嫌われた君を連れ出すことができています。
相互理解ということをテーマのひとつに置きながら、それを強要しないBUMPワールド全開の唄という印象です。